【珍地名】人首に行って来ました
当ブログのアクセス数が多いネタである【鬼死骸村に行きました】の続編になるネタになります。
鬼死骸村には、平安時代の東北地方が蝦夷地と呼ばれていた頃、坂上田村麻呂に抵抗したアテルイの弟である大武丸が討死した場所でした。
今回の人首地区は、(ひとくび)とは読まず(ひとかべ)と読みます。これは、大武丸の息子である人首丸(ひとかべまる)が最後まで抵抗したことが名前の由来になります。
集落には、宮沢賢治の残した歌碑が展示されていました。
昔ながらの商店
小学校の名前も人首。
かつてこの地を納めていた地頭の城があった場所、人首城跡。
集落から少し離れた場所に、人首丸の墓があるということでお参りに行きました。
走りやすい林道を5キロくらい走ります。踏み締められ走りやすいんですが、車高の低い車や、背の高い車は通れない可能性があります。
分岐に看板が建てられていて迷いにくい。
立て看板がありました。みっしりと説明が書かれてます。
墓の入り口
人首丸の墓
墓標には彫り込みは無さそう
墓の少し上に観音堂跡があります。
人首丸が潜伏した洞窟だったかもしれません。
立て看板の裏に書かれています。地名に名が残るように地域の人々に愛されていたことが窺い知れます。